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    淮陰路の姚家花園
      虹橋路は長寧区の境界内にあり、東の凱旋路から西の虹橋空港まで、1901年にこの道は公共租界の越境道路として造られ、近くの虹橋鎮で命名しました。程家橋西方向の虹橋路はかつて佘山路と呼び、沿線は西郊外の農村となり、環境は幽雅で地価が安く、外国の不動産商社と本国の官僚、買弁、豪商が争ってここで花園洋館と別荘を建て、姚家花園はその中の1棟でした。
    姚家花園もとは淮陰路200号に位置し、戦後西郊賓館に組み入れ、4号棟となり、別名は紫竹楼となっています。

    農工路の舒昭賢氏花園屋敷
        上海労働組合総連合会の労働者療養所の敷地は6.33万平米で、建築面積は1.8万平米になっています。1952年に創立、庭作り時に4棟3階建てのパルク式の花園屋敷しかありませんでした。
    上海市の労働者療養所元の番地札は農工路75号で、延安西路が西へ延びた後に表門は延安西路にあり、番地札は2258号になりました。上海市人民政府は2000年にこの4棟の花園屋敷を優秀な近代建物に決めて保護することになりました。

    姚虹西路の顧家花園
        姚虹西路281号に地下鉄の徐虹支路の北側に青々と生い茂る大きい花園があり、それは上海西郊外の顧家花園です。
    顧家花園は自家用園林で、もとは1901年に顧松泉氏が建てました。20世紀20年代に上海のヤクザナンバワン杜月笙もとの四大天王の一人顧嘉堂が花園の家主になり、上海解放後台湾に逃げました。抗日戦争成功後国民党の顧祝将軍の第3夫人が顧家花園に住むようになりました。

    華村の宋美齢氏の花園屋敷
        美華村は今の中山西路1350号で、虹橋の交差点にあり、敷地は8.67万平米、1.65万平米の建築面積になっています。ここは上海民族商工業の業者達や外国籍の人士などの社会の名高い人たちが居住していた花園別荘の団地になっていました。中に様々デザインの花園別荘は18棟があって、緑化面積は6.37万平米達しました。
    中山西路と虹橋路の曲がり角に、中国伝統の民家様式の近代的な建築材料でできた2階建てのレンガと木造建築の屋敷がありました、約1万平米の敷地と730平米の建築面積になっています、宋美齢氏はかつてここに居住していました。

    華山路の丁香別荘
        丁香別荘は今の華山路922号で、もとは南汪家弄朱家庫田舎、1.27万平米の敷地と928平米の建築面積になっています。別に付属の家屋は200平米余りがあり、20世紀30年代の前後に建てられ、花園の面積の1万平米余りがありました。ここもともとは地形が平坦で河川縦横でした、清の時代同治3年(1864年)に公共租界の工部局が越境して徐家匯路を造りました。その後改名し海格路となり、すなわち今の華山路です。東から西へ年々と伸ばし、不動産商社や富豪たちがここでたくさんの高級花園屋敷を造り、丁香別荘はその中の1例でした。

    華山路匯豊銀行支配人の花園屋敷
        華山路1862年~1864間、英軍は軍用のために越境して道路を造ることに始まり、徐家匯路まで通すので、当時は徐家匯路とも呼ばれました。1914年後この道の南は中国とフランスの境界道、1921年からは海格路と称し、1943年10月に華山路に改名し今に至ります。道の両側は花園屋敷を主として、緑の樹が木蔭をつくり、環境は静寂で、高級屋敷街になっていました。華山路1076号はその中の1棟で、江蘇路の交差点を隣接した高級な花園屋敷です。
    華山路1076号花園屋敷はもとはイギリス商人である匯豊銀行支配人が居住していたところです。

    華山路の兪振飛氏花園屋敷
        華園(華山路1006弄)は華山路に位置し、曹家堰路の東北にあり、ここもとは荒地と耕地で、1925年にドイツの商人はここで土地を借りて20棟の高級屋敷を造りました、その中弄内の東側には12棟と西側には8棟で、1棟当たりは約110平米の建築面積になり、合計約2200平米があります。
    2000年に華園は近代優秀な建物と指定され、保護されるようになりました。我が国の昆劇芸術巨匠兪振飛先生と京劇梅流の傑出弟子言慧珠夫婦がかつて居住したことがある華山路に近い、華園11号にある1棟の花園屋敷は520平米の敷地と268平米の建築面積になっています。

    華山路の孫伯群氏花園屋敷
        華山路(かつての海格路)1220弄の範囲に、ここもとは上海で有名な不動産商人であるアメリカ人のショウマリスの競馬遊園地でした。1916年に陳氏など12人がムーあたり3200両銀貨でショウマリスからこの土地を買収しました。25ムーは花園を造り、その他の50ムーは12棟風格がそれぞれ異なる3、4階建ての花園屋敷を造りました、その中はイギリス調やフランス調、スペイン調の建物があり、建築面積は合計5万平米に達しました。

    華山路の白楊氏旧居
        白楊氏旧居は上海長寧区と徐匯区の境を接した華山路978号に位置しています。主体が2階建てで、局部は3階建ての近代風格の別荘で、300平米近くの敷地と約428平米の建築面積であり、およそ20世紀40年代に建てられて、南側には1つ小さい花園があり、100平米足らずで、園内にはすこし草花樹木を植えていました。

    華山路の泰利洋商支配人の花園屋敷
        華山路の泰利洋商支配人の花園屋敷は、華山路と江蘇路の南西の曲がり角に位置し、今の華山路1164号長寧区衛生学校の中にあります。かつてここは呉沖泾偷羊橋で、耕地と村でした。