愚園路瑞興坊のルイ*艾黎故居
ルイ*艾黎氏(REWI ALLEY)(1897~1987)、1927年4月21日に30歳の時にニュージーランドから上海に来ました。1927年~1938年に上海公共租界公布局消防署に在任期間に、愚園路瑞興坊、今の1315弄4号に居住したとこがあります。
愚園路聨安坊の章伯鈞氏屋敷
愚園路聨安坊は今の愚園路1352弄になっています。1926年に造られたレンガと木造建築の花園屋敷です。全部で4棟、前後各2棟で、2階建ての南向きです。1947年2月に農工民主党上海市党部はここで創立し、上海市党部の機関もここに設置しました。そのとき章伯鈞も愚園路聨安坊11号に居住していました。
愚園路のユダヤ風建築
愚園道路754号屋敷はまたユダヤ建築とも呼ばれ、英文名は“Rosebetty Court”で,1931年に建てられ、英籍のユダヤ人Roseberryが建築しました。348.7平米の敷地と329.7平米の建築面積になっています。愚園路754号の南側は愚園路に向かい合い、北側は愚園路新村に接し、東側は同仁病院の救急病棟で、西側は同仁病院の入院病棟に面しています。
愚園路王伯群氏花園屋敷
王伯群氏屋敷は愚園路1136弄31号で、蘇州河の清水浜にあります。もとは国民政府の運輸部長何応欽氏の妻の弟王伯群氏(当時は大夏大学の理事長と校長です)が1930年に後妻である大夏大学のミスキャパス保志寧氏のために造りました。1934年に落成し、10.78ムーの敷地と2158.8平米の主体建築面積になっています。4年間続いて工事し、30万両銀貨をかかりました。
愚園路の楊氏花園屋敷
愚園路838弄7号もとは愚園路1267号で、3階建ての洋式レンガと木造建築の建物です。2040平米の敷地と924平米の建築面積になっています。1925年前後に建てられ、木の門、木の窓、木の床板と木の階段で、早くもガスを使い、水道水と電気、電話などの設備をそろっています。1949年前は上海の有名な抗生物質製薬企業楊氏の化学治療研究所でした。
愚園路684号の花園屋敷
愚園路684号の花園屋敷は中3階の西欧風格の混合構造の建築で、愚園路と鎮寧路西北の角に位置しています。1920年前後に建てられ、1984平米の敷地と870平米の建築面積になっています。
徳広氏が所有する2ヶ所の花園屋敷
愚園路岐山村54号は、主体が3階建てで、局部は2階建てのイギリス調独立した花園別荘で、717平米の建築面積と約1000平米の敷地になっています。
もう1棟はタイラスト路、今の太原路160号の花園洋館です。別荘全体は1268平米の敷地と2050平米の建築面積になっています。建物はルネッサンスの時期にフランス官邸の建築風格になり、中3階建てとなっています。2000年に上海市優秀近代建築の保護部門と指定されました。
江蘇路のメッカリ銀行支配人代理の花園屋敷
憶定盤路は今の江蘇路796号は今の上海家屋土地管理局職員病院で、昔はイギリスのメッカリ銀行上海支店支配人代理の屋敷でした。この花園別荘は洋風の中3階建ての花園屋敷で9000平米の敷地と927平米の建築面積になっています。
江蘇路の税関総括税務局の花園屋敷
江蘇路市三女子中学校の斜めな向かいの162弄内に大きくて造りがユニークな独立した花園屋敷があって、それはかつてイギリス人上海の税関総括税務局の屋敷でした。この建物は2階建てのレンガと木造建築で、長期にわたりイギリス人が居住していました。およそ1900年前後にでき、740ぐらい平米の建築面積になっています。
江蘇路中一村の唐雲氏邸宅
中一村は江蘇路の46、54、62、70、78弄です。建物の構造はこだわりがあり、連立式の花園住宅建築で、すべての住宅は1つ小さな庭付きで、6棟並べています。主体建築は56があり、すべての住宅は100ぐらい平米の建築面積で、合計6160平米の建築面積になっています。1938年に唐雲氏が上海に来たときに中一村46弄5号に居住していました。