西園ビルの盧小嘉氏の寓居
西園ビル別名は西園マンションで、愚園路1396弄に位置し、北は長寧路を面し、今は中山公園の南の表門になっています。1904年~1912年の間に建てられ、ビルと付属建築の敷地は約3000平米で、建築面積合計は4835平米になっています。20世紀70年代前に、このビルは当時の沪西地区でもっとも高い鉄筋コンクリート造りの建物でした。
かつて上海の有名な人物は西園ビルに居住したことがあり、1940年前に浙江省督軍盧永祥氏の子盧小嘉氏が西園マンション4階8号室に居住したことがあります。
セントジョン大学の懐施堂
懐施堂はセントジョン大学の第1号の建物で、3242平米の建築面積と5061平米の敷地、2階建てのレンガと木造建築で、四合院式の教室棟になっています。新中国が創立した後に、1921年の卒業生周韜奮を記念するために、1951年にセントジョン大学の教師と学生は韜奮ビルという名称に変えました。
華山路の復旦中学力学堂
華山路復旦中学の“力学堂”は凹字形の3棟教室棟中の1棟です。力学堂は1934年に建てられ、レンガと木造建築の中4階の四勾配屋根教室棟で、1644平米の建築面積になっています。
江蘇路中西女子中学校景蓮堂
中西女子中学校景蓮堂は今の五四ビルで、逆“T”字形平面と4階建ての混合構造で、ゴシック式のアメリカ学院風格に属し、建築面積は全部で4607平米で、22部屋の教室があり、北側の一階はレンガと木造建築の大講堂で、1192個の席があり、教師の事務室などもあります。
長寧路のセーマリア女子中学校
1923年に白利南路でセーマリア女子中学校を創立し、敷地は6.67万平米と4.47万平米の総建築面積になっています。校舎はレンガと木造建築の2階建ての建物です。それは教室棟、事務室棟、学生寮などがありました。
延安西路の真如中学
真如中学は今の延安中学東学校で、延安西路の南で側にあります。14700平米の敷地と1800平米の北棟の建築面積になっています。延安中学の北棟は20世紀20年代前後イギリス人が建築し、3階建てでルネッサンス風格の建物で、もとは2階建ての外廊式のもとに3階を増築しました。
虹橋路の上海盲学校
上海市盲学校は虹橋路1850号に位置し、2.03万平米の敷地と1.24万平米の建築面積になっています。キャンパス中に木々緑で舞い、環境は静寂でした。1928年董事会は愛丁宝路290号、今の虹橋路1850号に土地を26ムーを購入し、12部屋の校舎を新たに造るに決めました。1931年12月に正式に使用し始めました。
哈密路のキリスト教上海衛生療養所
哈密路またはルーベッコン路1713号の上海衛生療養所はアメリカキリスト教複臨安息日会が建築したもので、主体建築は3階建ての洋風医療ビルで、2300平米の建築面積になり、この主体建築以外は、南側に教会があって、約300平米の建築面積で、ここは信者達が礼拝するところでした。
新中国が創立した後に、1951年に中国人民解放軍から接収し、陸軍108病院になりました。近年は中国人民解放軍455病院支院に変えました。
延安西路の紡三病院と世界赤十字病院
延安西路1474号は現在の紡三病院(即ち上海市紡織管理局第三病院)になっています。1.2万平米の敷地と今約1.8万平米の建築面積になっています。前身は世界赤十字会上海病院と上海市公合営紡織捺染工場の共営病院で、1954年10月に10回の赤十字会上海支部の活動を終え、病院は上海紡織工業局に編入し、上海市“紡三”病院と改名しました。
愚園路の同仁病院
今の愚園路738号の同仁病院は、敷地1万平米余りと建築面積1万平米余りになっています。その中には1棟優秀な近代的な建築があり、それは愚園路754号のユダヤ風住宅で、20世紀30年代に建てられました。20世紀90年代に地下鉄2号線の江蘇路駅を建造するために、愚園路の道路を広げ、現在愚園路750弄の愚園新村に建て移しました。